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石安の経緯

1883年。岐阜県大垣市赤坂町。
この地は、石の町だった。
石灰と大理石が採れる山が連なり、国会議事堂の施工にも使われた石が、ここから切り出された。

初代・高木安きが、石を切った。
「安き」の安と、石。それが屋号になった。
石灰を製鉄の材料に。焼いて消石灰に。
そしてこの地の石で、墓石をつくった。

大理石は雨に溶ける。
やがて御影石に変えた。
素材を選ぶ目が、代ごとに磨かれた。

建築ブームが起きた時代、石屋の多くが建築に流れた。
石安は動かなかった。墓石一本。それだけを続けた。
五代、140余年。

石が、生活に降りる。

お墓が減っている。隠さない。現実だ。
10年ほど前から、高木大輔は次を考えてきた。
御影石は、暗い素材ではない。磨けばこれほど光る。
「前向きなかたちで、石を使いたい。」

ある夏の日、工房の石が熱くなった。
「これで料理ができる」と思った。
電子レンジに入れてみた。黒い石は熱くなった。白い石は温まらなかった。
鉄分の違いだった。

皿をつくった。
2021年、御影craftが動き出した。墓石屋の、生活雑貨。

高木大輔、五代目。

三菱で研究職についた。平日は名古屋で、土日は岐阜に戻り石を研いだ。
祖父の体が弱ってきた頃も、そうだった。

祖父は惜しまない人だった。
スーパーで売れ残りそうな野菜を見て、100個買い、近所に配った。
お寺に行けば、10万を包んだ。「お金は天下の回りもの」と、笑っていた。
その背中を見て育った。

祖父が逝った年、会社を辞めた。岐阜に戻り、石安の五代目になった。

石安が在る理由。

お墓を選びに来た人が、御影の皿を見て言った。「いいね」と。
その瞬間が、一番うれしい。

石を切り続けてきた五代分の時間が、ひとつの生活道具になって、誰かの食卓に置かれる。
それが、御影craftだ。

素材への思い。

御影石の何が好きか、と問われれば。
「ずっと残る」と、高木は言う。

太陽が当たっても。雨が降っても。
形を変えない。

社長になって、最初に工場へ置いた石がある。
アジ石。日本産の、硬い石だ。
表面に模様が浮かぶ。よく見ると、奥からも模様が出ている。
二重の「カゲ模様」。
日本の御影石のなかで、最も硬い部類に入る。
それを、最初に選んだ。

御影石は、世界に三百種を超える。
高木が最初に見るのは、強度だ。
「水を吸う石は、変色する。」
内部に空隙があれば、水が入る。凍れば、割れる。
鉄分が雨と反応して、石の表面が茶色くなる。
それが、使えない石だ。

強い石を選ぶ。次に色を見る。
黒にはインド産。ピンクは中国でしか採れない。
白は、日本の石を使いたい。
色と産地が交差して、初めて一枚の石が決まる。

皿にして、初めて使った日。
「すごくいいな」と思った。

磨けば光る。
手をかければ、育つ。

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